2017年04月22日

狩猟人生、その23:何時か来る銃の卒業:2018年~。

23銃を卒業。
    ライフル銃:2018年の予定。
物事には全て始めがあれば終りもあり、残念ながら何時までもエンドレスに続ける事は
出来ません。2012年以降、少し駆け足でしたが、国外そして北海道に於いてもフィナーレを
飾る大きな成果を残す事が出来ました。

エゾ鹿捕獲は1051頭、Max.角長は88cm、Max.体重は170kg、2009年にはシーズン44日
に140頭、2011年シーズンには大物31頭捕獲し、とんでもない大記録を達成しました。
最大遠射は500mを2度連続で成功、300mはもはや外さなくなりましたが、回収が大変で
もう遠射は辞めました。
ランニング5発5中を3度達成、同射撃の最大射程は250m、平均命中率は2.7発/頭、これも
達成してしまうと同様に回収が大変でもう複数は撃たなくなりました。

ヒグマも1度は勝負したい相手でしたが、合計捕獲は6頭、たくさん倒せました。
15mド至近距離の立ち上がったヒグマには肝を潰し、体重400kg以上の計測不能なヒグマの
超大物も結果的には50mで倒れましたが、追跡にはちょっと ビビりました。
6度の出会いはマグレですが、1度もミスらなかったのは実力だと思います。

海外猟ではクドウが1番の思い出です。2016年のクドウは更に大幅にデカく角長137cm
体重450kgでした。300m程度と思って射撃しましたが実際は380m、よくぞ命中して
くれたと思います。エランドの角長99cm体重940㎏も撃ち応えのある獲物でした。
この2者は共に1度ずつ未回収ペナルティーを支払っています。

赤鹿は角長99cm体重220kg、これも300mの遠射でした。何故倒れないのかと言う程に
被弾強くびっくりしました。
エルクは角長108cm体重320kg、忍び猟の50m出会い頭のスナップショットでした。
他の鹿類では角がヘラ状になった ファロー鹿、アンテロープではオリックス、その他5種、
猪2種、ゼブラ1頭を捕獲、それぞれに思い出がございます。

海外のその他の動物としましてはワイルドゴート63、野牛1、ポッサム25、ウサギ25、
ワラビー6があります。
他には本州鹿26、日本に於ける猪の捕獲はありません。全合計では1228頭 になりました。

2018年、どうせ何時かは卒業ですから大きなヘマをしない内が良かろうと思い、1990年
以来続けて来たライフル銃の卒業を予定しています。愛銃は合法的に残せるパーツに自作
部品を組み合わせてディスプレーモデルにしたいと思っております。

スクールは筆者のライフル銃が無くてもガイドや指導は続けられますから、生徒が4名以上
続く限りスクールも続けたいと考えております。
1度閉鎖されれば2度と再開される事は無いと思います。検討中の人はお急ぎ下さい。
狩猟人生、その23:何時か来る銃の卒業:2018年~。


    ショットガン:2020年の予定
そしてショットガン猟に於きましてもカナダガン猟では 僅か9発から7羽回収、
パラダイスダック猟に至っては 80発から何と47羽を回収と言う、驚異的で信じられない
命中率を記録する事が出来ました。
狩猟人生、その23:何時か来る銃の卒業:2018年~。
狩猟人生、その23:何時か来る銃の卒業:2018年~。
ショットガン猟と言えばカモ猟バイト時代の5000羽以上がメインになりますが、駆除の話も
抜きには出来ません。
写真は駆除の最盛期であった1982年7月18日の12人の成果です。ドバト400羽、
キジバト160羽、ムクドリ48羽、 カラス3羽、合計611羽の最大戦果でした。
これらの駆除にも筆者の2丁目のSKG1900が大活躍、全体の30%以上を1丁のSKBが
捕獲したと思います。

この大戦果はこの前年と前々年に春の長雨から麦が収穫出来ずに放置された結果、ドバト&
キジバトの異常繁殖で大きな被害が発生、大量駆除が必要となったと言う経緯があります。

猟友会のそれまでの駆除は老友会が細々と行っていたのですが、82年に当時32歳だった
筆者が役員になったのを契機にメンバーの一新を提案、射撃上手をかなり補強し、駆除の回数
も2倍の年間10日程まで増やし、年間の捕獲は一桁アップの3000羽前後、これを5年程
繰り返し、ドバト&キジバトの大被害を封じ込める事がやっと出来ました。

それだけの成果を上げる為には弾薬消費も半端でなく、購入も消費も特別許可を戴き、1日に
200~300発を消費していました。
駆除は農家から大歓迎され、農産物のお土産をたくさん頂けました。

こうして筆者はカモ猟バイト時代並にハト類も駆除で推定4000羽以上と言うとんでもない数を
捕獲しました。その頃、筆者は市猟友会の田舎親善大会でSKB1900の30インチでトラップ
(国際ルール)連続64枚の最大命中記録を達成しましたが、それでも30人中の3位だった程、
当時のクレー射撃大会は盛り上がっていたのです。

しかし射撃と実戦はまた別で、クレー射撃のトップであっても筆者の1/10の実戦も体験して
いませんから、1発で複数羽撃墜テクニックや障害物を避けるテクニックや遠射や連射等々
では圧勝です。
狩猟人生、その23:何時か来る銃の卒業:2018年~。狩猟人生、その23:何時か来る銃の卒業:2018年~。
当時スズメ網の駆除で約2000羽が捕獲されました。
右写真は年代がかなり離れますが、2008.6.15のカルガモの駆除、その前年からカルガモが
駆除の対象となり、それは時を同じくしてSKB1900の24インチ銃を作り上げた時期でした。 
16項にも詳しく出ていますが、28チャンスから32羽を捕獲し、カモ猟バイト技術がここでも
大活躍をしました。

この頃には前記のドバト超大猟捕獲から25年が過ぎ、その頃の射撃名人は銃を卒業、この頃
は真面目に狩猟により組んでいるのは我市では筆者1人だけとなり、筆者の愛銃1丁で全体の
過半を超える捕獲もしばしばあり、右写真の時は32羽/51羽で63%でした。
こうして筆者は駆除でもカルガモ500羽以上を撃墜しました。

ショットガン猟のフィナーレに於きましてもNZのカナダガン猟では僅か9発ながら7羽回収、
パラダイスダック猟に至っては80発から何と47羽を回収と言う、驚異的で信じられない命中率
を記録する事が出来、卒業に華を添えて戴けました。

2020年、1975年以来45年間も大活躍をして来たSKB1900のショットガンも5丁目で卒業
の予定、こちらの愛銃も同様な合法パーツを組合わせたディスプレー専用モデルに変身を予定
しています。

    その後の駆除
その駆除のその後ですが、筆者は駆除の2012~2015年の4年間を休みました。
理由は2012年初頭に狩猟法違反で上げられたからです。
何の項目でと言うとエゾ鹿の残滓放置です。と言って全く放置した訳ではなく、その当時の
平均値的な処置以上を十分に満足したレベルでした。

地元の駆除の利権を護る為に上げ足を取られたと言う感じです。
もちろん厳密に言えば違法であり、以後は確実に全量回収して処理場に運んでいますが、
当時はその処理場搬入も表向きにあると言う程度でした。
筆者のスクールのある紋別郡では、その後間もなくして処理場が開設されましたが未だ
に筆者専用、2016年度までに筆者以外は誰も処理場に残滓を運び込んでいない状態が
続いている次第です。

その結果は検察側では不起訴、それで終わりかと思いましたら環境省側で狩猟免許の半年間
の停止、その為に2012年のエゾ鹿猟と駆除をしばらく休む事になった次第です。
この時期の休猟は一気にエゾ鹿が1人で動かせなっただけではなく、同時に高齢が故の障害
も一気に出始め、以後の狩猟人生を大きく変えました。

2016年に駆除参加も認められましたが、参加して驚きました。
往年来のメンバーは筆者だけとなり、参加しても撃たない(獲れない)老友組が半分、そして
若いと言っても50前後の狩猟能力(狩猟をしていない)のない射撃組ばかりとなっており、
捕獲数は往年の一桁ダウン以下、筆者1人で全体の60%以上を捕獲しても一桁ダウン、
筆者がいなかった頃の駆除は名目だけの税金ドロボーと言った感じになっておりました。
全国の何処であっても大同小異と言った感じの様です。

    ライターの仕事
狩猟人生、その23:何時か来る銃の卒業:2018年~。
狩猟弾全集は「ショットガン編」「ライフル編」「応用要領編」そして「チャレンジ編」がありました。
そして2017年には「魅惑の海外猟」と「エゾ鹿猟の魅力」の続編を出版する事にしたのですが、
問い合わせすら全く来ない状態、もはや日本のハンターはそこまでやる気がなくなったのかと
ガックリ来ています。

狩猟の普及を筆者のライフワークとしていましたが、誰も反応しないのであれば、また狩猟
技術の伝承に全くならないのであれば行っても意味がなく、考え直す時期が来た様です。

最後の狩猟雑誌「けもの道」に筆者は連載2本を書いていましたが、1昨年休刊となりました。
最近になって年2回出版で細々と再開しましたが、筆者は書く気が起こらず手を引いています。












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Posted by little-ken  at 17:09 │狩猟人生を振り返って、