2017年04月26日

狩猟人生、その2:ボルネオ島ジャングル駐在を拝命:1973年。

ボルネオ島の狩猟。1973年。
1973年ヤマハに転職、ボルネオ島ジャングル駐在1年間を拝命、木材搬出の為のベース
キャンプを作る仕事でした。
実はボルネオはマレーシアの呼び方であり、インドネシアではカリマンタンと言います。
共にイスラム教ですがインドネシアの方がルーズで、ここはアルコールもビールまではOKです。
ここには野性動物がたくさんいるのですから、狩猟を行わない手はありません。

マメジカやオオトカゲやヤマネコと現地ポリスから銃を借り、公認の夜撃ちをしていました。
ただポリスの銃はナチスマークの入ったモーゼル98K、強力過ぎて小物はバラバラになって
しまい、4.5mm口径のスプリング式空気銃を購入しました。
本当は5.5mmのポンプ式が欲しかったのですが入手不可でした。

主な獲物はウサギの2倍程度のマメジカ、毎週の様に夜間狩猟に行きましたが数回に1回しか
獲れませんでした。
マメジカはウサギの様な味がします。ウサギを知らない人向けに言えば1番近いのは鶏肉です。

そして残念だったのはキャンプ近くに居付いた体重200~400kgの大型サンバー鹿の夜撃ち
に行った時の事です。10mの距離で5秒以上の時間があったのですが、オープンサイトに
慣れていなかった事もありますが、迫力負けで  撃つ事が出来ませんでした。
今なら絶対に捕獲していますが、当時はまだまだ未熟でした。
狩猟人生、その2:ボルネオ島ジャングル駐在を拝命:1973年。狩猟人生、その2:ボルネオ島ジャングル駐在を拝命:1973年。
  左:キャンプで獲れた大水トカゲ。右:現地助手と捕獲したヤマネコの皮と孔雀のしっぽ。

また近くの沼には雷魚がたくさんおり、魚が食べたくなるとこれを釣りに行きました。熱帯のジャングルと言うと蔓や草で1歩進むのも蛮刀で切り開かなくてはならないと言う感じを
受けますが、それは川の近くの焼き畑農業を行った跡地周辺だけの事です。
元々ジャングルと熱帯雨林は全くの別物なのです。

今では本物の熱帯雨林は本当に少なくなりましたが、そこは高さ50m以上の大木の森が
生い茂り、太陽の光は地面に全く届かないのです。
従ってつる草の類は殆どなく、釣竿を担いでスイスイ歩ける、これが本物の熱帯雨林です。
当時持っていたフィルムカメラの感度はASA100、これですと昼間でもフラッシュが必要でした。
そう言う事でジャングル内の写真は殆どありませんが、それは写らないからなのです。
雷魚はウナギよりもヌメリが強く、鶏肉よりも歯応えがありますが鶏肉の様な美味しい魚でした。
狩猟人生、その2:ボルネオ島ジャングル駐在を拝命:1973年。狩猟人生、その2:ボルネオ島ジャングル駐在を拝命:1973年。
   現地製の押し罠、珍しく明るいジャングルでした。ジャングル内で写っていた
   写真はこれだけです。  これで色々な小動物が獲れました。
   ヤシの葉の作業小屋、全身キャンプとして各所に作られていました。












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Posted by little-ken  at 17:35 │狩猟人生を振り返って、