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Posted by ミリタリーブログ  at 

2012年04月10日

11.銃と弾を持って飛行機、フェリー、鉄道、バスの乗り方。

  銃と弾を持って飛行機の乗り方
国内にはANA・JAL・SKY・AIR DOの4社が主な航空会社です。
各社により多少の料金体系や受付制限寸法や重量が違いますが、概ね下記の様になります。

1.銃と弾に付いて。
航空会社側が無料(SKYを除く)で銃専用ケースや弾専用ケースを用意しています。
銃は市販のソフトケース、弾はスーパーの袋でも大丈夫です。
受付カウンターの手前で銃や弾である事を申し出て指示に従って預けて下さい。
この時に銃に弾が入っています(マガジン内でも)と銃刀法違反で本当に逮捕されます。
知り合いの中にはこれで銃を辞めなければならなくなった人もいます。

ハードケースで鍵の掛かる場合はそのまま受け付けてもらえますが、スクールとしましては邪魔になりますのでハードケースは持ち込みは原則として禁止です。
またスペアガンに付きましても保管の問題がありますので原則禁止しています。

銃や弾は宿にも車にも残したままで離れる事が出来ませんので、全ての銃と弾を本人が何時も携行しなくてはならなくなります。

なお、弾を飛行機に預けられる上限は数量ではなく5kg以内です。特別な鍵の掛かる装弾ケースは飛行機会社が用意しておりますから不要です。

2.機内持ち込み手荷物。
危険物の持ち込みは出来ません。もちろん機内には銃も弾も持ち込めません。
55 x 40 x 25cm以内であり10kg以内を1個持ち込めます。
他にウエストポーチやハンドバッグの類、空港で買った土産類は持ち込めます。


3.預け荷物。
危険物は入れられません。ボンベの類は小型医療用に限られます。
上限寸法は市販大型スーツケースが概ねMaxです。
重量的にはMax32kgが上限、無料枠は合計20kgまでです。
1辺が120cmを越えると特別料金になります。航空会社によってはもう少し余裕がある場合もあります。

航空大手3社は個数制限なしの合計20kgまでが無料で預けられます。
制限を超えますと次の様な追加運賃になります。
ANAとAIR DOは最初の10kgまでが2500円の追加、以後10kg毎に1000円、JALは追加1kg当り400円の追加、無料分と合わせてMax100kgまで預けられます。

3.SKYだけはもう少し厳しく3個まで合計15kgまでが無料です。
SKYは銃と弾もそれぞれが1個になり、更に特別手荷物として銃が2000円、弾が1000円の追加料金となります。SKYは追加1個に付き500円、追加10kgに付き500円、制限越えで更に500円の追加となります。
ダブって請求されますので4個目でオーバーサイズで15kgの無料枠を超えた銃となりますと3500円になる可能性があります。

乗り継ぎがある場合、中継空港で預け荷物は自動的に乗り継ぎ便に移されますが、追加料金がある場合は1便毎になりますから宅配で荷物を送った方が得策です。

4.宅配便のあて先は下記の通りです。
     ホテル渓谷 コテージ4   立石憲司郎 宛
    〒099-5604 北海道紋別郡滝上町元町無番地 
    TEL:0158-29-3399 FAX:0158-29-3380
      MAIL::reserve@iris.ocn.ne.jp 


5.銃と弾の重要な注意。
銃砲店は150km先にしかありませんから、銃と弾は次の項目に注意をして下さい。
1.銃はなるべく直前に照準確認と機能確認をしてそのままの状態で掃除をしないでお持ち下さい。掃除をした為にミスが生じて撃てない銃が持ち込まれた事があり、狩猟中にも掃除をした為ボルトを宿に忘れて1日を無駄にした人もいます。
また掃除をすると狙点が変わりますから掃除をしない方が着弾に自信を持てます。

狩猟期間中は銃砲店に行くと1~2日が無駄になり事と2万円以上の車代実費が必要になります。充分射撃練習(試射)をしてそのまま絶対に弾の出る状態でお越し下さい。
とにかく掃除をするとロクな事がありません。
ボルトやマガジンを家に忘れて来る人も複数ありました。北海道まで何をしに来たのでしょうか。

2.弾は入手出来ませんから1種類の工場製弾を1日当り10発以上用意して下さい。
遠射用近射用と落差の違う弾を複数使用してはなりません。
それによる効果よりも落差管理でミスる事の方が多く、弾を入替え様として時間が不足し逃げられるだけです。

数mmの精度の為なのか1発数百円の為なのか分かりませんが、過去ハンドロードでは様々なトラブルが本当にあり、少なくとも7名の生徒の猟が台無しになりました。
http://ehg5205.militaryblog.jp/e314992.html を参照してミスのない弾薬を用意下さい。


  銃と弾を持ってフェリーの乗り方
船舶に乗船する場合も銃と弾は船舶会社に預けなければなりません。今の所は無料です。
銃は船舶会社としては重量制限も寸法制限も今のところありません。
ソフトケースでもハードケースでも構いませんが、スクールではソフトケースに限らさせて頂いております。

鍵の掛かる船室に残す事は違法です。また車両に残す事も違法です。
車両に銃や弾を残せる限界は外部から見えない様な位置に置き、鍵をロックし、その上で車両を直接監視下における場合だけが合法です。
弾は船の場合、400発まで持ち込めますから楽勝です。

なおついでに他の交通機関を併用される方は弾薬数に於いて注意して下さい。
バスも列車も運行会社に預けるシステムはありません。
マイカーには数量制限はございません。
列車の持ち込み制限数は200個以内バスの場合は50個以内です。
弾帯又は薬ごうにそう入してあると規定されていますからスーパーの袋はダメです。

安い千歳便の飛行機で来て猟場近くまで長距離高速バスを利用しようとする場合、制限数が50個ですから注意が必要です。


申し込みや質問 は下記からどうぞ。お待ちしています。
            http://ehg5205.militaryblog.jp/blogmessage


  


Posted by little-ken  at 09:01銃と弾

2012年12月12日

12.シカ肉加工品:THE 男のロマン。

           スクールではこんな事もやっています。

写真は1段目が 鹿肉版 「The 男のロマン」、2段目がヒグマ版 「The 男のビッグロマン」 です。
トップの物は 「1000頭 達成記念の特別製 The 男のロマン」 です。

中身は捕獲した獲物の肉のヤマト煮または味噌煮です。
スクールでは参加記念として時々こんなのを作って配布していますが、2011年度は講師の1000頭達成記念版でした。
2015年度はヒグマ版「ビッグロマン」の予定です。

ご自分で捕獲した鹿でぜひ作って下さい。手配代行致します。
加工費は2.5万円位、100個位出来ます。ラベル作成及び貼り付けは含まれていません。



他に加工可能な物は「ジャーキー」、「ソーセージ」、「スモーク」等があります。
手配代行します。記念に如何ですか?


申し込みや質問 は下記からどうぞ。お待ちしています。
            http://ehg5205.militaryblog.jp/blogmessage
  


Posted by little-ken  at 12:04シカ肉加工品

2013年03月25日

13.シカ角トロフィーの作り方。

大物捕獲に成功したらトロフィーを作りましょう

トロフィーの持ち帰り方

トロフィーはハンターの誇りです。
写真の様に担いで飛行機で帰れます。 (オーバーウェイトでなければ無料、オーバーウェイトであっても2000~3000円の宅配料金並みの追加で済みます。)
スクールの帰り道にはトロフィーを担いで、空港内ロビーを1~2周 し、獲れなかったハンター諸君に少しだけ見せてあげましょう。

おデコ切りの角飾りがお奨めです。
シカのトロフィーで最も一般的なのが剥製、次がスケルトンと言われる頭骸骨の丸更です。
スケルトンには骸骨丸更と、鼻面までを全ての上60%を残しカットしたタイプがありますが共にヨーロッパではスケルトンが主流です。
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日本では剥製もスケルトンも共にお金が掛かり過ぎ、且つ飾るのに頭の部分が全部付いているので大き過ぎます。またスケルトンは気持ちが悪いと言う人も多く居ます。
しかし日本のシカの位置付けは神の使いとして神聖な生物で、鹿の角は決して気持ちが悪くなる物ではありません。
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これらの背景からなるべく簡単でコンパクトでカッコ良くてワイルドでありながら、多くの一般の方が気持ち悪くならないシカのトロフィーを作ってみました。
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トロフィーにはタグを付けその時の写真をラミネート加工した物を付けたり、ショートエッセイを付けておくのも良い思い出になります。また倒した時の薬莢又はその薬莢に弾頭を再プレスしたダミー弾頭を付けても良い思い出になります。


スクールでは実費で加工代行もしています。送料&梱包費がベラボーな為、翌年スクールでの手渡しとなります。上写真丸太の輪切りの物で2万円強、下写真の北海道型の物で1万円前後になります。
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角飾りの作り方
  2-1.まずは原材料のシカの頭を切らなければなりません。クラウンから1.5cm位離れた後方から眼球の中心に向かい眼球まで鋸を入れます。鋸が通る周辺は皮を除去する必要がありますが、皮はなるべく付けておいた方が骨は綺麗に仕上がります。
角の周辺は頭蓋骨が厚く大変ですがそれを過ぎればそれ程ではなくなります。
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目のところまで鋸が入ったら角をこじると隙間がかなり大きくなる様になります。左右の角を前方に強く押しますと細かい骨が折れますので後は繋がっている皮を切ればトロフィーが外れます。
使用する鋸は生木用の物かプラスターボード用等々の目の粗い物が良好です。
不要な肉や脳味噌は剥がしたりカットします。ダニを殺す為に殺虫剤を皮に掛けます。
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  2-2.綺麗な頭蓋骨にする為には鍋で煮ます。皮の部分が全て沈む程度の鍋で沸騰してから約2時間で皮が浮く様になります。生臭い匂いが出ますので台所でやると嫌われます。
浮いてくる脂やカスをすくうと綺麗に仕上がります。
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皮が剥がれ掛けたら剥がして暖かい内にぬるま湯とタワシでよく擦りヌメリを落とします。角のこげ茶色の部分は木の樹皮ですからなるべくそのまま触らない様にします。
当初はブヨブヨですが乾くと又元の色形に戻ります。その樹皮が剥がれ落ちてしまった場合は靴墨の黒と茶色を混ぜて着色を施します。
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鋸、木工ヤスリ、グラインダー等を使って骨の成型と座りを良くします。
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その後裏側から肉の厚い角の付け根部分に穴を開けてマルタの輪切りや適当な台木にビス止めすれば完成です。
鹿の骨はビスがすぐ焼き付いてしまいますから下穴は通常より大き目が良いでしょう。
また本取り付けの前にビスが適正にねじ込められる事を確認してからにしましょう
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鋸は木工用や金属用は適さず、発砲コンクリート等も切れるパネルソーが良好です。
ドリルは金属用が使えます。グラインダーは猛烈な臭いを発しますので注意して下さい。
ベースの丸太輪切り等は5000円前後で滝上の道の駅で売っています。
自作の北海道型のプレートも良いと思います。
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Posted by little-ken  at 18:05鹿角トロフィー

2016年07月18日

14.海外猟の同行。

1.アフリカ猟の案内。
アフリカ猟はハンターたる者の一生の夢、筆者は料金の超明快さとトロフィーサイズが良好なトロフィートラッキング社 http://trophytracking.com を利用しています。
実はアフリカ猟は2016年を以って最後にするつもりだったのですが、新しいエリアが余りに魅力的だったので2~3年中にもう1度行く事にしました。

手配業者を使う場合に比べて半額以下になり、それでいながら後述のチップの項に説明があります様に初回からビッグトロフィーが狙えます。また通常コースでビッグトロフィーに至る費用100万円以上を節約出来るチャンスでもあります。宜しければぜひ活用して下さい。
ただアフリカ猟は日本の狩猟とは後述の様に根本的に制度が違いますから注意が必要です。

  1.海外猟の価格構成
基本的にはガイドと食事とロッジで一人なら425㌦/日、2人なら少し安くなり、これらには税金15%掛かります。送迎は往復で950㌦、これは2人でも変わりません。
狩猟日2日に対し1種のゲームが可能で、下表の様に1頭に付き480㌦~が必要です。
   Kudu    U$ 1650   Oryx    U$ 750   Eland      U$ 2000
   Blesbuck  U$ 550   Impala  U$ 650   Springbuck  U$ 500     
   Warthog  U$ 480   Zebra   U$ 1375  Waterbuck  U$ 2850
   Hartebeest U$ 750   Giraffe  U$ 1850  Sable      U$ 9500
   Blue Wildebeest U$ 1375         Black Wildebeest U$ 1500


  2、2016年度は約160万円
2016年度の筆者の場合は8日狩猟で全日程12日間、クドゥとオリックスとインパラとブレスボックの4種、レピーターの10%レスが適用され、現地価格が5920㌦でした。
これに飛行機代16万円、旅行保険約1万円、チップ10%前後、ここまで合計で約100万円前後、そして4種のスケルトンで剥製代は運賃も含めて20万円程度、これとは別に日本側のプライベート手配料が30万円掛かり、合計が160万円となります。

ご自分で直接現地ガイドと直接契約すれば手配料30万円は不要ですが、日本と商習慣も狩猟制度も全く違いますから、狩猟や銃に関する英語が堪能でなければ、そして海外猟の経験がなければすれ違い的なトラブルは必須となります。
筆者も初回アラスカ猟では予備知識不足で120万円を勉強代だけに使いました。

問題が起こっても日本的な常識が通用する世界では無く、後述のシンワールドの様に現地の狩猟制度をよく理解していないと、現地追加料金だけで当初の総額予算に肉薄します。

  3.ナミビアの狩猟
ナミビアのハンティングは殆どがファームで、牛の放牧を行っている牧場に自然生息する野生動物と勝負しますから、単に入場制限されているだけの自然の猟場です。

ファーム猟の適正時期は現地が乾期の6~7月です。
2016年のガイドのダニー本人及び親族が所有するファーム更に提携しているファームの合計は50km四方中の過半を占めます。自然勝負ですから決して舐めて掛かれません。

  今回初めて訪れたアウトジョーエリアの質素なファームのロッジですがムードは十分です。
  枕元にはチーターの見張りが付きます。アルバムには2013年の記録が見えます。


  4.海外猟は国内と全く制度が違います
今まで多くの場をお借りして海外猟の素晴らしさと共に、この狩猟制度の違いを説いてまいりました。読者からの参加希望もたくさんありましたが、制度の違いへの理解は予想を超える難解だった様です。

正しく理解して頂くには相当な時間を費やし、そしてその結果がそんなにも悪条件で大変だと言う事がやっと理解されると、後述の稀な一人を除き全員が辞退しました。
かつての国内業者のシンワールドもそう言う海外猟の料金システムを事前に正しく理解させる事が余りにも大変で、且つ理解すれば殆どが辞退、だから難解な文書を配布するのみで説明はしない、その結果として現地追加請求がベラボーな金額になったのだと思います。

日本の様に撃ち放題&失中未回収放題ではないと言う事は海外猟紹介記事中の随所で詳しく紹介していたつもりですから、かなり虚しく且つ情けなく思っています。
そう言う事から今は問い合わせや見積りに至る全てに実費(筆者は旅行手配業の資格はなく、プロライターですから1文字4円)を戴く事にしました。(1回の問い合わせはA4が2枚程度ですと約8000円になります)

未回収ペナルティーもある程度は避け難く、筆者も今回は無かった物の、参加毎に1000ドル前後を支払っていました。射撃条件等の難易度は後述を参考にして下さい。
筆者の監視下であれば未回収ペナルティーと10%程度のチップ以外の現地発生料金は殆どありません。(ナミビアは狩猟ブームでインフレ中、ドルと円の相場も変動します。)

  5.上手く行かなかった例
その稀な一人は元海外旅行添乗員、筆者と日程が少し合わなかった為にすれ違いで同じNZのガイドの所に単独で強行されました。英語力には問題は無いのですが狩猟制度に精通していなかった為、1回目のチャンスは希望の2000ドルではなく4000ドルだった為にパス、2回目のチャンスは現地ガイドが獲らせてやろうと言う、ノーリスクの300mの大物チャンスをくれても意図が分からずに発砲チャンスを見送ってしまいました。短日程で他に良い出会いが無いままで終了、初回遠征は料金支払だけで目的を達成出来ずに終わりました。

2回目は本人都合の時期が明らかに適正時期を外れており、筆者は辞めた方が良い旨を説明し案内を拒否しました。しかし単独で強行されました。目的はエゾ鹿より遥かにデカい赤鹿だった筈ですが、やはりと言うか良い獲物に出会えず、結果は並のエゾ鹿大物程度の角長78cmの貧果に終わりました。あれではとても総額100万円に見合う物ではありません。

筆者には全く問題にないガイドも客によって差別扱いをすると言うよりも、それだけ日本的な考えが通用しないと言う事なのです。
海外猟は上辺だけではなく日本の狩猟との違いをよく知った中間案内人が不可欠なのです。

   6.ナミビア猟の難易度
ナミビア猟の難易度を一般的な平均的エゾ鹿ハンターで説明しますと、射撃距離大と照準時間不足に加えて射撃条件の悪さから失中や未回収が続出し、1~2回の失中又は1回の未回収でそのゲームはもう諦めれば、出費は予算の総額160万円以下に収まりますが、成果は4種中の2種程度に留まると予想されます。

全ての捕獲に拘れば多額ペナルティーとなり、総額200万円以上の出費となります。もちろんペナルティーを払っても捕獲の保証にはなりません。

旧技能講習合格が危ぶまれる様なレベルですと捕獲成功は全く期待出来ませんが、雰囲気を味わう為に後述のタワー待猟等だけに参加すると言うのなら問題はありません。

  7.甘くないビッグトロフィー狙いの射撃条件
ビッグトロフィー狙いの場合は決して甘いモノではなく、静止状態の姿丸出しを100m程度からじっくり狙って撃てるのはもはや伝説、普通のハンターが撃たない様なブッシュ半隠れの獲物を、弾がブッシュに喰われる覚悟で素速く且つ正確に撃ち獲るのがビッグトロフィー狙いなのです。

具体的には200m以遠から3脚を使った立ち撃ちの早撃ちとなり、ブッシュ間の狭い場所で一瞬止まった状態或いはウォーキングのままで撃たなくてはなりません。

   写真はウォーキングの300m先のトロフィー級クドウ。これを撃つのがトロフィー狙いです。

  8.ハンターは著しく増加しています
日本のハンター数は著しく衰退していますが、海外猟のハンターの数はアメリカ人や成金中国人のおかげで2009年の10倍以上と著しく増加しており、ナミビアはハンティングブーム真最中、その為に今後も価格は上がり捕獲の難易度が増す方向が続くと思われます。

  9.未回収は1回がゲーム代満額のペナルティーになります
問題のペナルティーですが、このファームでは失中無料で再チャレンジ可能ですが、未回収には基本的に全額料金(オリックスなら750ドル、クドゥなら1650ドル)が発生します。
それはトロフィーが仮にゲット出来なくてもその半矢の獲物は生き残れない為です。

現地側も売り上げに結び付かない失中クラスハンターには貴重なビッグトロフィーは与えません。失中は無料でも獲物側にとっては学習が進み、以後は獲れ難い獲物になってしまうからであり、その為に他のエリアでは失中が有料の所も多数あります。

  10.海外猟は契約したゲームの数しか発砲回数はありません
今回の様に対象ゲームが4種の場合ですと、基本的にはガイドの指示下の合計4発しか発砲の機会はありません。(止め矢を除く)
この海外猟が面白くない人は現地の広大な土地を自己所有にする以外に方法はありません。

ハンティングはショッピングではありませんから、お金を出しても出会いすら得られない事もあり、思う様にはならないのは言うまでもありません。また繰り返しますが、日本の狩猟が恵まれ過ぎており、これを理解しないと海外猟のロマンに駒を進める事は出来ません。

  11.入念な準備が必要
海外出猟には技術的にもかなり入念な準備が必要で、成功させる為には「制度の違い」を理解し「迫力負け」と「未回収恐怖症」に打ち勝ち、且つウォーキング射撃を含む200m以遠の早撃ち(3脚使用立撃ち)や300mの半委託遠射早撃ちが出来る等の「かなり高度な射撃」が出来る様にならなければなりません。

それらが実戦で練習出来るのは国内では前記の様にエゾ鹿猟しかなく、本州鹿の巻狩りは後述のタワー待猟には役に立ちますが、エゾ鹿猟やアフリカ猟の参考には全くなりません。

  12.海外猟は銃や狩猟の資格のない人でも出来ますが・・・
海外猟が銃や狩猟の資格や経験無しに楽しめると言うのはある意味では間違いありませんが、実際は決して甘い物ではなく、参加してほんのおさわり程度の雰囲気を楽しむまでが限界であり、実際の捕獲には 腕 と 運 と 度胸 と 根性 が必要です。

13.初~中級者でもある程度の成果が期待出来るタワー待撃ち
高さ8mの狭いタワーの中で辛い缶詰め固定状態の4時間待ち、2016年の筆者の時にはオリックス単独が3回、オリックスペア2頭が1回、そしてインパラ単独が1回でした。
グッドサイズが殆ど無警戒、これで良ければ射撃は極めてイージーです。

    タワーから100m、ノーマークナイスサイズのインパラオス、今なら650ドル。
    同じくノーマークの角長1m近い雌オリックス、これ今なら750ドルで撃てます。


この手法で水を飲みに来た個体が貧弱でなく且つ高額でなければ撃つ、と言う手法で行けば照準時間もかなりあり、距離も100m程度ですから100m専門の射撃特訓を十分して来ればと言う前提で、初~中級者でも初弾命中の可能性はかなりあります。

椅子に座って待つのですが、呼吸も半分位にするつもりで本当に動かない様にしなければならず、かなりかなり辛い覚悟が必要です。しかしガイドも人間ですから周りを見て時々姿勢替えで動きますが、その時に合わせた時以外は決して動いてはなりません。
状況空気が読めない人が勝手に動けばタワーには100%何も近付いてくれません。

  14.ビッグトロフィーを目指すハンターには又と無いチャンスです
2016年度は現地支払い分が6000ドル程度、これに対し本来チップは600ドルで十分ですが、かなりの大物捕獲で大幅プラス、更に次回に皆さんが来られた時の為に備えた投資500ドルを含め1500ドルにしました。

これで次回に筆者と行けば初回参加者でも500ドル以上の大幅に有利なサービスを得られます。大物は本来レピーター用に取っておく為に初回参加者には撃たせないのですが、希望すればチャンスを下さる事でしょう。こちらはそれに対してまたチップで応えます。
彼らの世界はそう言う世界なのです。

これでビッグトロフィーを目指す人は、100万円以上の初回遠征猟費自体を省略する事が出来るのですからこれは非常に大きなチャンスです。ぜひ有効にお使い下さい。

  15.最後に
アフリカ猟に対するロマンとそれを追及する為の現実をまとめて来ました。
夢を実現させる為には幾つかのハードルがございますが、頑張って夢を実現させましょう。
エゾ鹿猟は海外大物猟の練習に最適ですが、海外猟を希望される場合、エゾ鹿スクール5年以上は必須コースとなります。

     1.長期日程12日間が必要で、それに耐えられる健康や健脚が必要です
かなりキツイ片道3日の移動をこなし、実猟は6日間、往復6日間はかなり強行軍ですからそれに耐えられる健康が必要です。またアプローチは隠密徒歩接近が主流です。音を立てない歩き方の技術が必要であり、平地の10km程度を速足で歩ける健脚が必要です。

     2.費用約160~200万円が必要です
夢のアフリカ猟としては抜群に安い方なのですが、それでもペナルティーやトロフィー関係も含めると総額では2016年レベルで200万円の予算が必要です。

一般的な業者に手配してもらえば今は400万円を下り事はありませんが、400万円を投資しても良い獲物に出会えるかは別問題です。グッドトロフィーはエリアの質とガイドの腕と、そして何よりもガイドとの(チップの)信頼関係が避けて通れない道となります。

     3.射撃技術が必要です
グッドトロフィーは普通のハンターが撃てない或いは撃たない、遠距離の早撃ちや、ブッシュ超のハイリスク射撃が必要です。アフリカ猟は世界中のハンターの憧れです。日本とは違い、これを目指すハンターは急速に増えており、普通の腕のハンターで撃てる様な獲物はもはや少なくなって来ました。

射撃は各ゲーム毎の1発のみ、ミスれば高額ペナルティーが発生しますから絶対に当たると言う強い信念が必要となり、かなりの精進期間が必要です。

     4.早い話が暇と健康とお金、そして長期のやる気が必要なのです
人生に於いて暇と健康とお金の3つ全てが揃う事は稀です。
アフリカ猟のロマンはそう言う類稀なハンター、或いはそうなれる様に長年に渡り努力を続けたハンターしか到達出来ない憧れの世界なのです。

また「射撃技術」、「迫力負け対策」、「未回収恐怖症対策」、これらの育成にもかなり長期間が必要です。アフリカ猟はそう言う類稀な「やる気」を長期に渡り保持が出来る人だけしか到達出来ないのです。筆者も人生の最終章でやっとここまで到達する事が出来ました。

    筆者の3回分のナミビア猟の成果です。2016年は1式160万円で写真のクドウ-
    オリックス-ヌー2種-ブレスボック-インパラの6種類+大型ナマズの捕獲となりました。
    タワー待猟に限定すれば並みのハンターでも十分手が届き、本州巻狩りハンター
    でも十分参加出来ます。






2.ニュージーランド猟の案内。
ニュージーランド(以下NZ)はわずか10数時間のフライトで到着しますから、北海道猟の延長的な感じで本格的な出猟が出来るメリットがあります。
大型鹿類の猟が最も有名ですが、リーズナブルな価格の大型鳥猟や小型獣猟等、多くの楽しめる狩猟が魅力です。またフィッシングやエアロスポーツも世界的に有名です。

Min的な全日程は下記の様に7日間、狩猟は正味4日間です。
  1日目:日本初 夜行便。     2日目:朝オークランド着、猟場まで移動、到着後試射。
  3~5日目:3日間終日狩猟。  6日目:殆ど終日狩猟、狩猟後に空港近くまで移動。
  7日目:朝の飛行機でオークランド発、夜には日本着。

送迎を含めて1日当たり800NZドル前後が必要で、上記コースで現地支払いは4000NZ㌦です。NZ㌦はUS㌦の0.8倍程度です。飛行機は往復12万円程度です。
下表のライトゲームは1~2日に1種を選べ、撃ち放題で失中&未回収放題、定数はあります。

NZ猟もファームですが、ガイドはオークランド在住の日本人です。ゲームによって彼の提携するファームからチョイスされます。
直接現地ガイドと契約すれば200㌦/日ほど安くなりますが、エリアが限定されます。


NZ猟は安価な300~500ドルの撃ち放題のライトゲーム豊富な事が特徴です。ガン以外はかなりの出会い数が期待出来、日本に比べますと体格の良い鳥類ばかりです。
ライトゲームは日本的感覚で撃っても特に問題はなく、気楽に楽しめるお薦めコースであり、筆者の同行はまず不要だと思います。
下表のライトゲームは1~2日に1種を選べ、撃ち放題で失中&未回収放題、定数はあります。

         NZゲーム価格一覧表:(2014年度価格) 1NZドルは約80円
  鳥獣名 狩猟可能 ベスト期   価格       定数 未回収   備考 
  赤鹿   年中  4~8月  2000~10,000ドル  1   ○  SCIスコアー表価格
  エルク  年中  4~8月  3000~20,000ドル  1   ○  SCIスコアー表価格
  ファロー 年中  4~8月  1000~4000ドル    1   ○  SCIスコアー表価格
  猪     年中  年中    1500ドル         1   ○  お奨め、コスパ良好
  野羊    年中  年中    1000ドル         1   ○  ビッグホーンシープ風
  野山羊  年中  年中     300 ドル       10      お奨め、本命猟の練習に最適。
  ワラビー 年中  年中     300ドル         2      夜撃ち。
  ポッサム 年中  年中     200ドル        10      お奨め、夜撃ち
  七面鳥  年中  年中     200ドル        5       お奨めですが、強敵
  孔雀    年中  年中     200ドル        2       お奨めですが、強敵
  キジ   5~8月 5月     500ドル        10       お奨め、狩猟地によっては5羽
  ダック  5~6月 5月    300~500ドル     25       お奨め、狩猟地によっては15羽
  ガン    年中  年中    300~500ドル     5       高難易度
     5~6月:5月第一週末から6月末まで  5~8月:5月第1週末から8月末まで


   4000㌦のエルク、1000㌦の野山羊、1500㌦の黒猪、雉500㌦、ターキー200㌦、
   ダック400㌦、これらをガイド7日で5600ドルでやったとしますと、剥製代等で全合計
   で約150万円程になります。NZのビッグゲームは決して安くありません。



NZ有名なのは赤鹿猟エルク猟の大型鹿猟です。
トロフィー級を狙う場合は3日を要し、こちらは失中無料で未回収リスクは有りです。
料金はトロフィーのサイズによって著しく異なり超見事と言えるのは1~2万㌦位です。
アフリカ猟と同様にガイドの指示で撃ち、未回収リスクもありますから注意が必要です。

NZの大型鹿類は赤鹿の方がやや安いのですが、赤鹿の2000㌦でエゾ鹿超大物よりやや大きい程度、見栄えのするトロフィーは4000㌦以上です。

問題は希望サイズの鹿に中々出会えない事です。気に入らなければノーサンキューでよいのですが、それでは800㌦/日が無駄になり最終的に手ブラに終わります。
1日目は希望サイズの2000ドルを狙い、2日目以降は価格の上限を例えば4000㌦と告げ条件を広げます。現地業者も売り上げになった方が良いので最後のギリギリの所で5000㌦クラスが出ても4000㌦で撃たせてくれます。この辺の駆け引きは絶妙さが必要です。

先のNZ猟の1回目の失敗も短日程ですから、最初から上限を告げておけば良かったのです。
元々4000ドルまでは出しても良いつもりだったのですから余計に残念です。

射撃は立木等を使った半依託射撃の200m前後です。照準時間は比較的ありますが、距離の割には十分とは言えません。

お薦めコースの例として300㌦の野山羊で肩慣らし、本命2000㌦の赤鹿い、夜にはアトラクション的に200㌦のポッサム撃ちを入れたとしますと、ガイド料4000ドル+300ドル+2000ドル+200㌦+飛行機12万円+剥製関係15万円=約80万円になりますが、予備費用としてグレードアップ分2000㌦を用意された方が良いと思います。(1NZドル=80円で計算)
更にトラブル防止とカメラマンで筆者の同行費12万円を追加された方が無難かと思います。

トロフィー加工や輸送費は白人の国ですからアフリカより高く、2種を加工し送ってもらうとアフリカの4種並みの20万円ほど掛かります。

ガイドはNZ在住の日本人ですから言葉の問題は全くないのですが、彼が日本の狩猟制度を全く知らずに客はNZの狩猟制度を全く知らない、これが最大の問題点であり全てのトラブルの原因はそこにあります。
先の上手く行かなかった事例はこのNZの赤鹿猟だったのですが、日本語バッチリのガイドに英語バッチリの客であっても上手く行かない、これが日本の狩猟の特殊性を物語っています。

筆者の同行案内料は飛行機代+アルファで約15万円です。
小物や鳥猟だけの時は同行案内は無くても大きな問題は起こりませんが、大型シカ類等の
猟には同行案内付をお奨めします。
その他の注意事項もアフリカ猟を参照して下さい。



NZはハンティングだけではなフィッシングエアロスポーツも世界的に有名です。
飛行機はビンテージな複葉機からジェット戦闘機まであり、飛行ライセンスはなくても希望すれば操縦させてもらえます。また希望すればアクロ飛行も行ってくれます。
こうした各種を取り入れると全7日間コースの使える日が4日間では大幅に不足して来ます。

     NZはエアロスポーツも盛んでジェット戦闘機2000㌦、プロペラ戦闘機500㌦、
     グライダー200㌦、 飛行ライセンスはなくても希望すれば操縦させてもらえます。
      川も海もフィッシングが世界的に有名です。デカ真鯛800㌦、数釣り真鯛600㌦、
     マス釣り300㌦でした。



改めてエゾ鹿猟を見てみますと、大物エゾ鹿も料金の心配なしに勝負できる。
NZの小物猟ポッサムの様にエゾ鹿のトロフィーを並べる事が出来ます。
初日の朝に家を出て夕方には1頭捕獲、最終日も朝の猟をして1頭捕獲して夜には家に着いている。
1日5万円で5回のチャンス、100㎏超エゾ鹿2頭以上捕獲、2日に1頭はそれが大物である。
群れからどれを撃とうが料金問題はなく、失中リスクも未回収リスクも全くない、チップ制度もない、これが何時ものエゾ鹿猟ですが、とんでもない程に恵まれている事と言う事が改めてよく分かります。

エゾ鹿猟は海外大物猟の練習に最適ですが、海外猟を希望される場合、エゾ鹿スクール5年以上は必須コースとなります。

    トップクラス超大物88cmも無料、NZポッサム、2週間分の大物、捕獲例5日19頭。










  


Posted by little-ken  at 17:27海外大物猟のガイド

2017年04月22日

狩猟人生、その24:最後に。

24.最後に。
上を見ればキリがありませんが、おかげ様でソコソコの頭と健康や収入にも恵まれまして、
一般的な人々より色々な事を体験し、また挑戦も出来ました。その最初のきっかけを作った
のは間違って入部した名門バレーボール部でした。

運動はダメ側の代表でしたから、世の中は何処に運が転がっているのか分かりません。
苦しい数々の特訓は「エマージェンシーパワー」を常用側に引き出す儀式であり、その特別な
力は通常値に比べ3倍程になりますから、体力的に普通のパワーにはもう負けなくなります。

更にこれは苦しさに打ち勝って得た能力ですから、どんな苦しい時にも逃げ出さない「根性」
がおまけで付いています。雇う企業側に取ってもこれは非常に頼れる存在となります。
また筆者の場合は運動神経が極端に悪かったおかげで、先を読める特殊能力が身に付いた事
も大きな武器になりました。筆者の全ての能力はこの先を読む力が原点になっていると思います。

先を読む原点は現状の解析です。まずはよく観察し、見えない部分は仮説を作り、そう言う
目で観察しますと仮説が 合っている間は事象がスローモーションで進みますが、合わなく
なった途端に早送りに切り替わります。
仮説が完璧なら最後までがスローで進行します。

それらの結果、観察力が非常に鋭くなり、物事のポイントを見極める事が出来る様になりました。
そして仮説は可能性のあるファクターを組み合わせて頭の中で動かし、ストーリーが完成
するまでこれを繰り返します。やがて仮説を作る能力が発展して頭の中でどんな仕事も出来る
様になり、そのおかげで合理化10倍は難しくないと 言う、数々の大きな仕事が達成出来ました。
狩猟にもこの合理化勝負は生かされており、スナップショットは通常照準の1/10が楽勝で達成
されています。

現状から発展させる為の原点は本人の失敗の経験です。成功からは「上手く行って良かったね」
しか生まれませんが、失敗からは成功に結び付く要素を幾つも勉強出来ます。
その源となる失敗もある程度は貯め込まなくてはなりません。

現状問題点を正しく把握出来なければ対策案は出来ません。
過去の失敗の経験を正しく分析しその対策方法を考え出し頭に叩き込んでおいても、最初の内
はいざその本番になってもその対策した手法を中々再現出来ません。
しかしそれも繰り返しやっていれば何時かは必ず出来る様になります。

やがて失敗の経験が増えますと対策方法の種類もベラボーに増えますが、順番にステップ
アップして行けば、この場面に可能性のある、事前に選んだ5つばかりのカードの中から即座
に選べる様な体制が自然に取れる様になります。
要は経験と訓練とそして次の事、及び次の次の事を考える事が必要なのです。
そして行動は直列式ではなく並列式に進められる様に訓練をするのです。

目一杯詰込みの教育では応用力は生まれません。世の中の仕事は過半がこの応用力勝負
になると思います。
記憶力の僅かな差では勝てません。その日暮らしに精一杯では何も生まれません。
それを勉強とか努力と勘違いしている様ではその延長上に勝利はありません。
つまり、通常で言う勉強とは全く違う事が本当の勉強になるのです。その辺が運命の分かれ道
なのです。

     普通のハンターの行動。
スクールの一コマです。ガイドの筆者が鹿を発見し、方向と距離を伝えます。
すると生徒はその方面を何秒か見渡し「アッ居た本当だ」と言う事になりますが、何の行動も
取りません。
筆者は何処にアプローチして何処から撃たせるかを瞬時に決定し、生徒に伝達します。
しかし生徒はまだ何の行動も開始しておりません。唯々ポカンと見ているだけなのです。
たぶん次の事、及び次の次の事はおろか何も考えていないと思います。

やがて車が止まるとそれからやっとおもむろに行動が開始されます。
車のドアを開け、外に出て、銃のカバーを外し、弾をマガジンに入れ、装填、安全装置を外し、
肩に銃を付け、スコープを探し、それから獲物を捜索し、それから長い長~い照準が合って、
やっと発砲と言う事になります。

しかしこれは手順がお粗末です。全ての行動は直列であり、恐ろしい程の時間が無駄に
過ぎて行きます。
その間に銃は右手になったり左手に持ち替えたり、また持つ位置を変更したりで、モタモタ-
ゴテゴテとなっています。

そしてそんなに永らく鹿は待ってくれませんから、その内には動き始めます。
そうすると焦って照準未完成であるにも拘らず引き金を引いてしまいます。結果はもちろん
失中ですが、現状の分析が出来ていませんから対策方法を作る事も出来ず、従って次回まで
にこれが対策される事もありません。

     正しい銃の取り扱い。
安全であれば、合法であればと言う前提は付きますが、出来るだけ行動は前倒しと言うか
フライングをしなければなりません。
如何に問題の無いフライングを行うかが勝負の1つになります。
多くがフライングと言うとマガジンに弾ならまだ良いのですが(それでも違法)、装填して安全
装置も解除して待機しています。
これは完全に違法ですし、何よりも危険その物です。
そんなヤバイ事をしなくてもちゃんと上手く行く方法があるのです。

右手で使う物は最初から右手でその位置を掴み、持ち換えてはなりません。持ち換える毎に
1~2秒をロスります。そして右手-左手-頭-目のそれらは並行動作で同時進行させます。
脳は更に次、及び次の次の取るべき行動を用意されたカード数枚の中から選び、手足に指示を
出しますが、指令を 受け取った手足は勝手に自働的にそれらの分担された仕事をこなせる様
に訓練するのです。

具体的に書きますと肩付けと装填と安全装置解除と照準は同時に1行程で行います。
その様に両手-両足-頭の位置等々は同時に最終的な位置に並行的に向かいます。
人間は順番にステップアップした訓練をすれば1度の5つの事をする事が出来る様になれます。
装填しながら銃身で獲物を指差す様にして、安全装置を外しながら肩に真っすぐ引き寄せます。

すると、考えが先んじておれば肩に着く前にスコープから急所の映像が入り始め、照準がもう
すでに終わっている事もあります。その場合は肩に着く前に撃ってしまいますが、照準は出来て
いますから必ず命中します。

そう言う事ですから、肩付けと装填と安全装置解除と照準は、全てをまとめて早ければ1秒で
終わり発砲となり、軽く10倍以上の合理化がここに完成した事になります。
これがスナップショットなのですが、これは特別な撃ち方ではなく、これが銃の取り扱い方の
基本なのです。

     銃弾が止まって見える超スローモーション。
先を読んで行動していると先にも少し書きましたが、面白い現象が起こります。
物事の進行が全て超スローモーションになるのです。
そして読んでいないと早送りで事象が進みます。
だから読んで用意されたカードで行っている行動は事象がスローモーションですから非常に
余裕があり、そうでない時はどんなに急いで行動しても事象が早送りですからそれには間に
合いません。

信じなくても構いませんが、筆者は飛行中のスラグ弾頭が止まっているかの如くに見えた事が
あります。
また鹿の被弾部の毛が立ち、波紋の様にそれが広がって行くのを観察出来た事が何度もあります。
また300m級の遠射であっても命中すると弾着音が聞こえます。

スラグ弾はハワイの射撃場で見ました。空き缶を撃ったのですが、当たって当然の感触で
引き金が落ちたにも拘らず、何故か缶は飛びません。やがて缶の手前に灰色の物体がある
のが目に入りました。あれは何だと思いましたが、間もなく弾頭だと分かりました。
すると次には缶に穴が開いて向こうが見えましたが、缶はまだ動いていません。
どうして缶は飛ばないのかと思いましたが、間もなく缶はスローモーションで飛んで行きました。

アクション映画の弾頭の超スローモーション飛行の様な感じでした。
人間の頭の回転と言うのはそれほど速いのです。

     バレーボールの時。
筆者は今現在もバレーボールをしています。そしてこの数年(書いている現在の年齢は67歳)
めっきり動きが悪くなりましたが、それでもまだアタックのレシーブをする事がある程度ですが
出来ます。それは高校の時に得た特殊技能で、トスのコースとアタッカーの腕を振るコースの
ずれが読めるのでボールが何処に飛ぶのかが分かっているからです。

考え方の問題なのですが、実はボールの飛翔コースは打ってから、或いは飛んで来てから
決まるのではなく、打つ直前にはもう決まっています。若い頃の完全に読めた時代はスロー
モーションでボールが飛んで来ましたので楽勝で拾えるばかりか、アタックボールの飛行中に
セッターの位置を再確認しそこに上手く届けられる様にレシーブの手の位置の微調整が
出来ました。

しかし今は並の速度で飛んで来ますのでぎりぎりで間に合う状態、間もなく読みが間に
合わなくなって早送りで飛んで来る日も近いと思われます。高齢になりますと例外なく反応が
遅くなりますので、昔は運動自慢で来てからの反応が上手かった人は60代半ばから気の毒な
程お粗末になります。

それは恐ろしい程のレベルで反応は遅くなり、顔の正面付近にゆっくり飛んで来る普通のパス
ですら、その飛行コースが読めずにアンダーハンドかオーバーハンドは或いは少し前後の調整
がいるのか、その判断が付かない内にボールが目前に来てしまい、触るのがやっとになって
しまっているのです。

筆者は50歳の時に友人に誘われてバレーボールを再開しました。
その頃はかなり上手かった50歳前後の周りの人が10年後に反応出来なくなって来たのを
たくさん見て来ました。
それで筆者はその人達に向けて正確にパスを送る、或いは構えている手を狙って正確に
アタックを打ち、更に数年間の寿命を永らえさせて来ましたが、それも65歳が限界、とうとう
何をしてもゲームの進行が出来なくなってしまいました。

先を読んで出来るだけ前倒しのフライングする行動は、現状の数倍~10倍の合理化を成功
させる為の手段でもあり、また高齢時の何時までも素早く動ける為の手段としても非常に有効
な手法でもあります。まずは心掛けなければその成功は有り得ません。
     
    不得意側に成功の原点がある。
人間はそれぞれの性格や考え方があり本当にマチマチです。能力を伸ばす方法も色々あり
ますが、1つは得意な方面を伸ばす方法です。「豚も煽てりゃ木に登る」の格言もあります。
もう1つの方法はその真逆の方向にあります。不得意項目側にそれは潜んでいます。
筆者の現在は理科や科学的な考えを発展させたのは得意側の発展になりますが、それ以外
のかなり多くの項目が  不得意側を不得意でなくした事から成り立っています。

運動神経が超鈍く・・・・の話はすでにしました。これは不得意側を克服した側の最も大きな
項目になります。
もう1つあります。筆者は高校を卒業するまで文字を書いた事が殆どありませんでした。
書く必要が無かったからです。事件はトヨタフォークリフトの最初の仕事としても1枚のレポート
から始まりました。

当時は手書きです。内容は特に難しい物ではありませんが、書いた事が無いので数日掛けて
やっと1枚を書き上げました。提出しますと1~2行目しか目を通さず、3秒で突っ返されました。
何処が悪いのかを聞くと3つ教えてくれました。そしてまた丸1日掛けて最初から手書き、類似
項目でも引っ掛からない様にしたつもりですが、更に1~2行進んだ所で突っ返されました。
聞くとまた3つの至らない点を指摘されました。

また丸1日掛けて再提出、3秒で3点の至らない点を指摘され突っ返される。これが何と
丸1ヶ月強も続きました。
たった40行足らずのレポートです。筆者も「この野郎」絶対に合格するレポートを書いてやると
もうエマージェンシー状態になりましたが、上司もよく1ヶ月以上の長期に渡り指導を続けて
くれました。

これ以後、筆者のあの時のレポートは書き方の見本として長らく使われ続けられましたが、
但し文字の方はヘタクソ側の見本になりました。
筆者の国語能力はその後更に大幅発達し、何とライターになったと言うのですから驚きです。
バレーボールの練習も同じ系列と言えばそうなりますが、この様にしっかりしごかれてクリア
した能力は煽てて育った 能力よりも本物になる事が良くあります。

心掛けも我慢して3年間続けますと徐々に板に付いた行動となり、更に3年間続けると考え方
が根底から変わり、人の性格が変わり、そうなれば運命も変わって来ます。
筆者の場合、名門バレー部の3年間を我慢し続けた時期が出発点になっております。
そしてその後の運命は大きく変わりましたのは本自伝に詳しく述べて来ました。

何処に運が転がっているか分かりません。やりもせずに門前払いにする事は「もったいない」
かなと思う事もあります。
まずやってみて3年間頑張ってみましょう。筆者の信条は「石の上にも3年」です。そこから
新しい未来が必ず開けます。

ラッキーが突然転がり込んで来る「棚ボタ」と言う言葉がありますが、あれも日頃から準備を
していた人達だけが対象です。
読んでいなければ、それが落ちる兆候すら見つけられないのが普通です。
仮に棚ボタを見付けられてもそれなりの準備している人には敵いません。

アイデアは誰でも出す事が出来ます。
それはヤマハ時代にある依頼に答えて仕事をした事がありますが、それは改善提案
コンクール全社大会に於いて万年最下位の課を200番抜の3位以内にまで引き上げたいと
言う依頼内容でした。

詳しい手順は省略しますが、多少イカサマっぽい手法だったとは言え全員のやる気をあおり、
総合優勝は僅差で逃しましたが、2位を達成出来るまで1年弱で育て上げた経験がございます。

ダメと言われた人達からでもそう言う素晴らしい提案がズラズラ出せる様になったのです。
皆さんにもそう言う機会が無かっただけで同等の可能性が十分あったのです。

    自前会社の思い出。
筆者はトヨタとヤマハでサラリーマン時代を続けましたが、協調性の無い問題児でした。
決して仕事をしなかった訳ではありませんが、筆者には残業とは、休日出勤とは、と言う独自の
定義がありました。

それによりますと「所定の時間内に所定のノルマを達成出来ない者が行うゴマ擦り行為」
これを残業としています。
休日出勤の方はもっと強烈で「それでもノルマを達成出来ない者が行うゴマ擦り行為の上乗せ
である」としていました。もちろん世間ではそうでない事は十分知っているつもりですし、
言うからにはそれなりの十分な実績を示したつもりです。

その後は自前の産業車両会社を目論み、中小企業の杉国工業で勉強を8年し、自前会社を
「オムニパレット」と名を付け、その試作も終わった1989年、いよいよ独立の時期を探りました。
いざ独立直前になると筆者の会社の成功に不安を 感じてか、当初5人いたメンバーが
どんどん抜けて行ってしまったのです。
最終的に残ったのは親友の清水氏の1人だけ、2名だけではメーカーになれず、人集めの
解決方法は見えず、悶々と した日々が流れて行きました。そんなある日に事件が起きました。

やるべき事も無いので新会社用の超高能率の製造システムを杉国工業で試す事にしました。
この時、結果から申しますとヤマハの天才社長川上源一氏の言った「画期的な新アイデア」は
職制を通さず直接持って来いと言った言葉に意味が改めてよく分かりました。
職制と通せば上司は天才ではありませんから理解されずに潰されるか革新度が薄くなって
しまうからです。

杉国社長に画期的な新製造システムの全容を話しました。
筆者にすればヤマハで数々の大きな合理化を行い、その全てを成功させて来ましたから今回
も抜群の自信があります。ところが杉国社長はこの画期的な新システムが全く分からない様子
ながら、自らの権威を保つ為か「成功の自信度はどの程度か」と質問して来ました。
これで凹まそうとしたのです。

筆者はその自信度を示す為に「失敗したら給料は無しでも構わない、代わりに成功したら
給料4倍、元々それがヤマハでもらっていた額だ」とやり返しました。それで潰れないと見ると
今度は自分の理解力不足を取り繕う、トンチンカンな昔の事例を切り出したのです。
要は誰にも負けたくない意固地な性格なのです。

筆者は悶々とした日々の鬱憤が爆発、「お前はこんな事も分らないボンクラ社長なのか」と
言ってしまいました。社長はカンカンに怒って「お前は首だ」と叫びます。
筆者も負けずに「ボンクラなんかの下で働いてたまるか」とやり返しました。
そしてその場でドアを叩き付け、家に帰りました。

    7下請け会社にならないか
あれだけの啖呵を切った訳ですからノコノコ再出社は出来ません。
さてこれからどうしようかと思案に暮れていると3日目に社長から電話がありました。
筆者が元々自前会社設立を希望しているのは知っていますから「下請け会社にならないか」
と言うのです。筆者は「バカも休み休み言え、お前なんかの下で働くのは真っ平ごめんだ」
と言って電話を切りました。

そうは言っても何かしない事には喰って行けません。
ヤマハ時代の貯金も試作でお金を使った為にそろそろ底が見えて来ました。
会社にとっても電気の分かる人が居なくなる事はかなりのマイナスの筈です。
誤りに行こうかどうか迷っていると面白い展開になりました。

    協力会社にならないか
また3日目、今度は「協力会社にならないか」と言って来ました。
何かやらなければ喰って行けませんから「対等なら、なってやっても良い」と答えました。
形は変わっても下請けとやる事にあまり変わりはありませんが、双方のメンツが保てればそれ
で良いのです。それなら早い方が良いから明日の何時に来いと言う事になり、出社しました。

そして話合いの結果、従来の設計業務は全て従来通りにこなす。その分の人件費を杉国工業
は払わない。代わりに部品価格は現状をベースとし、合理化は自由でその浮いた金額は全て
筆者側の物となり、取り分が増えると言う内容で手を打ちました。
そして取り敢えずは制御盤とハーネスの製造を受け持つ事に決まりました。

こうして幾多の苦節がありましたが、1989年には「脱サラ」ではなく「首サラ」から出発した
「サンシャ電装」がスタートしました。
新会社の名称は産業車両の電装品を作る会社と言う名前です。
設立場所はオムニパレットの試作をした自宅ガレージです。

杉国社長はタダで従来通り筆者を使え、製品価格も時給1800円を1500円で計算するの
ですから従来より17%安く入手出来る計算になり、更に言えば当面は値上げを認める必要も
無くなり、何よりも全員一丸を唱えている会社から 異端児の排除にもなるのですから、全てが
上手く行ったと思っている様子でした。

しかし、筆者に取って最後の合理化分の全てが筆者の直結収入増は非常に魅力的でした。
すでに杉国工業は筆者入社時からすれば能率は3倍以上になってしましたが、筆者には
更なる3倍以上が見えていたからです。

早速従来と互換性をなるべく保ちながら安価に速く製造出来る様に再設計を開始しました。
筆者の合理化はこの様に設計段階まで入り込み、随所の工程を無くしてしまうと言う合理化の
比率が高いのです。
それが究極の合理化であり、合理化の手が入っていない場合は軽く10倍以上まで行けます。
すでに3倍になっていましたが、まだもう1度3倍以上までは十二分に勝算があったのです。

半年後には概ね合理化3倍以上を達成しました。当初は残業+休日も目一杯で製造業に
励みましたが、半年を過ぎる頃には楽勝で15時には終われる様なっていたからです。
筆者が残業休出を本格的にやったのはこの時だけでした。
仕事量には波が避けがたく、それに対処するにはどうしたら良いのか? 
筆者の場合は仕事が増えて定時に終わらなくなると、その品質を落とさないで定時内で処理
出来る方法を考え付くまで仕事をしません。

もちろん再開後は上手く行く様に筆者が考えたのですから、上手く行って当然なのですが、
能率は2倍位に上がるので何時も暇していました。
それは何度そうなっても合理化で何時も暇していました。
そんな状況から冒頭の「残業の定義」が出来上がりました。
そんな繰り返しですから残業でカバーしなければいけない期間と言うのは本当に僅かなのです。

製造業のハーネス製作だけは妻とその近所のPTA友人2名にお願いしましたが、制御盤の
組立は筆者が1人で行いました。
そしてかなり余力が出て来たのでハンドルの組立作業を新たにもらって来ました。
その頃の杉国工業は知名度も品質も耐久性も、そして生産台数も筆者在籍の8年間で一桁
向上していました。それは筆者が自前会社用に開発した技術を色々テストしてみたかったので
部分的に提供したからです。

それを人員増も合理化も甚だ僅かしか行わず、生産台数の対前年比1.5倍を外注化のみで
切り抜けて来た為、残業休出は外注や下請けも含めてもう限界まで行っておりました。
しかし筆者の会社は生産台数が増えても合理化度の方が上廻り楽勝で処理出来ていたのです。
そんな状態でしたからこの仕事もらえないかと言えば喜んで出してくれました。

ハンドルには各種のスイッチやセンサー等々が多数組み込まれ、それらの絶妙な調整が
欠かせない重要な機能部品でした。
当時10年選手のベテラン工員が1時間/本と言う事で1500円/本で受けて来ました。
初日は1日掛けて2本しか出来ず、これは大変な事になりましたとも思いましたが、普通の
ベテラン工員が1時間なら 筆者が行えば30分以内に絶対になる筈です。

1ケ月後、筆者は早々に10倍の合理化を達成、6分を切る事に成功しました。
6分で1500円なら15000円/hで悪くはありません。
杉国工業には1200円/本で下請けに出している事にしていましたが、本当は超合理化で筆者
1人で作業していました。これも小さな改善の組み合わせと設計の合理化の複合成果です。
当時このハンドル組立の利益だけで月に50万円以上あり、筆者の月収は150万円/月を超え、
給料は杉国時代の6倍以上になっていました。

杉国工業は筆者在籍の8年間とサンシャ電装3年間で一桁を大きく上回る伸びとなりましたが、
1990年頃の円高で輸出が1時的に全廃となり、その時に協力関係を解消しました。
筆者の合理化能力だけでも上手く使えば、もう一桁は伸びる会社であったのですが、大魚を
逃がした事になります。

    その後の自前会社
もちろん筆者の会社はその後も新業務等で更なる大幅向上は続くのですが、
アイデアや合理化と言うのは誠に痛快です。
筆者はおかげ様で自らのアイデアでそれ程の大金ではありませんが、11年間に約3億円を
儲けさせて戴きました。それは平均230万円/月の利益になり、相貌税、借家、自宅等々に
約1億円ずつ、趣味には約2000万円を使いました。

同様な痛快さは多くのハンターが行っている普通照準に対し、1/10の時間内に魔法の様に
命中させるスナップショット及び多くのハンターには静止していても難しくなる150m級、これの
ランニングショット5発5中にもあります。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。 
筆者の体験はかなり常識離れしており、単なる自慢話に聞こえたかも知れませんが、
この様にアイデアの組み合わせは無限の効果を生み出します。
お役に立てる部分が断片的にでもあれば嬉しく思います。





  


Posted by little-ken  at 16:45狩猟人生を振り返って、

2017年04月22日

狩猟人生、その23:何時か来る銃の卒業:2018年~。

23銃を卒業。
    ライフル銃:2018年の予定。
物事には全て始めがあれば終りもあり、残念ながら何時までもエンドレスに続ける事は
出来ません。2012年以降、少し駆け足でしたが、国外そして北海道に於いてもフィナーレを
飾る大きな成果を残す事が出来ました。

エゾ鹿捕獲は1051頭、Max.角長は88cm、Max.体重は170kg、2009年にはシーズン44日
に140頭、2011年シーズンには大物31頭捕獲し、とんでもない大記録を達成しました。
最大遠射は500mを2度連続で成功、300mはもはや外さなくなりましたが、回収が大変で
もう遠射は辞めました。
ランニング5発5中を3度達成、同射撃の最大射程は250m、平均命中率は2.7発/頭、これも
達成してしまうと同様に回収が大変でもう複数は撃たなくなりました。

ヒグマも1度は勝負したい相手でしたが、合計捕獲は6頭、たくさん倒せました。
15mド至近距離の立ち上がったヒグマには肝を潰し、体重400kg以上の計測不能なヒグマの
超大物も結果的には50mで倒れましたが、追跡にはちょっと ビビりました。
6度の出会いはマグレですが、1度もミスらなかったのは実力だと思います。

海外猟ではクドウが1番の思い出です。2016年のクドウは更に大幅にデカく角長137cm
体重450kgでした。300m程度と思って射撃しましたが実際は380m、よくぞ命中して
くれたと思います。エランドの角長99cm体重940㎏も撃ち応えのある獲物でした。
この2者は共に1度ずつ未回収ペナルティーを支払っています。

赤鹿は角長99cm体重220kg、これも300mの遠射でした。何故倒れないのかと言う程に
被弾強くびっくりしました。
エルクは角長108cm体重320kg、忍び猟の50m出会い頭のスナップショットでした。
他の鹿類では角がヘラ状になった ファロー鹿、アンテロープではオリックス、その他5種、
猪2種、ゼブラ1頭を捕獲、それぞれに思い出がございます。

海外のその他の動物としましてはワイルドゴート63、野牛1、ポッサム25、ウサギ25、
ワラビー6があります。
他には本州鹿26、日本に於ける猪の捕獲はありません。全合計では1228頭 になりました。

2018年、どうせ何時かは卒業ですから大きなヘマをしない内が良かろうと思い、1990年
以来続けて来たライフル銃の卒業を予定しています。愛銃は合法的に残せるパーツに自作
部品を組み合わせてディスプレーモデルにしたいと思っております。

スクールは筆者のライフル銃が無くてもガイドや指導は続けられますから、生徒が4名以上
続く限りスクールも続けたいと考えております。
1度閉鎖されれば2度と再開される事は無いと思います。検討中の人はお急ぎ下さい。



    ショットガン:2020年の予定
そしてショットガン猟に於きましてもカナダガン猟では 僅か9発から7羽回収、
パラダイスダック猟に至っては 80発から何と47羽を回収と言う、驚異的で信じられない
命中率を記録する事が出来ました。


ショットガン猟と言えばカモ猟バイト時代の5000羽以上がメインになりますが、駆除の話も
抜きには出来ません。
写真は駆除の最盛期であった1982年7月18日の12人の成果です。ドバト400羽、
キジバト160羽、ムクドリ48羽、 カラス3羽、合計611羽の最大戦果でした。
これらの駆除にも筆者の2丁目のSKG1900が大活躍、全体の30%以上を1丁のSKBが
捕獲したと思います。

この大戦果はこの前年と前々年に春の長雨から麦が収穫出来ずに放置された結果、ドバト&
キジバトの異常繁殖で大きな被害が発生、大量駆除が必要となったと言う経緯があります。

猟友会のそれまでの駆除は老友会が細々と行っていたのですが、82年に当時32歳だった
筆者が役員になったのを契機にメンバーの一新を提案、射撃上手をかなり補強し、駆除の回数
も2倍の年間10日程まで増やし、年間の捕獲は一桁アップの3000羽前後、これを5年程
繰り返し、ドバト&キジバトの大被害を封じ込める事がやっと出来ました。

それだけの成果を上げる為には弾薬消費も半端でなく、購入も消費も特別許可を戴き、1日に
200~300発を消費していました。
駆除は農家から大歓迎され、農産物のお土産をたくさん頂けました。

こうして筆者はカモ猟バイト時代並にハト類も駆除で推定4000羽以上と言うとんでもない数を
捕獲しました。その頃、筆者は市猟友会の田舎親善大会でSKB1900の30インチでトラップ
(国際ルール)連続64枚の最大命中記録を達成しましたが、それでも30人中の3位だった程、
当時のクレー射撃大会は盛り上がっていたのです。

しかし射撃と実戦はまた別で、クレー射撃のトップであっても筆者の1/10の実戦も体験して
いませんから、1発で複数羽撃墜テクニックや障害物を避けるテクニックや遠射や連射等々
では圧勝です。

当時スズメ網の駆除で約2000羽が捕獲されました。
右写真は年代がかなり離れますが、2008.6.15のカルガモの駆除、その前年からカルガモが
駆除の対象となり、それは時を同じくしてSKB1900の24インチ銃を作り上げた時期でした。 
16項にも詳しく出ていますが、28チャンスから32羽を捕獲し、カモ猟バイト技術がここでも
大活躍をしました。

この頃には前記のドバト超大猟捕獲から25年が過ぎ、その頃の射撃名人は銃を卒業、この頃
は真面目に狩猟により組んでいるのは我市では筆者1人だけとなり、筆者の愛銃1丁で全体の
過半を超える捕獲もしばしばあり、右写真の時は32羽/51羽で63%でした。
こうして筆者は駆除でもカルガモ500羽以上を撃墜しました。

ショットガン猟のフィナーレに於きましてもNZのカナダガン猟では僅か9発ながら7羽回収、
パラダイスダック猟に至っては80発から何と47羽を回収と言う、驚異的で信じられない命中率
を記録する事が出来、卒業に華を添えて戴けました。

2020年、1975年以来45年間も大活躍をして来たSKB1900のショットガンも5丁目で卒業
の予定、こちらの愛銃も同様な合法パーツを組合わせたディスプレー専用モデルに変身を予定
しています。

    その後の駆除
その駆除のその後ですが、筆者は駆除の2012~2015年の4年間を休みました。
理由は2012年初頭に狩猟法違反で上げられたからです。
何の項目でと言うとエゾ鹿の残滓放置です。と言って全く放置した訳ではなく、その当時の
平均値的な処置以上を十分に満足したレベルでした。

地元の駆除の利権を護る為に上げ足を取られたと言う感じです。
もちろん厳密に言えば違法であり、以後は確実に全量回収して処理場に運んでいますが、
当時はその処理場搬入も表向きにあると言う程度でした。
筆者のスクールのある紋別郡では、その後間もなくして処理場が開設されましたが未だ
に筆者専用、2016年度までに筆者以外は誰も処理場に残滓を運び込んでいない状態が
続いている次第です。

その結果は検察側では不起訴、それで終わりかと思いましたら環境省側で狩猟免許の半年間
の停止、その為に2012年のエゾ鹿猟と駆除をしばらく休む事になった次第です。
この時期の休猟は一気にエゾ鹿が1人で動かせなっただけではなく、同時に高齢が故の障害
も一気に出始め、以後の狩猟人生を大きく変えました。

2016年に駆除参加も認められましたが、参加して驚きました。
往年来のメンバーは筆者だけとなり、参加しても撃たない(獲れない)老友組が半分、そして
若いと言っても50前後の狩猟能力(狩猟をしていない)のない射撃組ばかりとなっており、
捕獲数は往年の一桁ダウン以下、筆者1人で全体の60%以上を捕獲しても一桁ダウン、
筆者がいなかった頃の駆除は名目だけの税金ドロボーと言った感じになっておりました。
全国の何処であっても大同小異と言った感じの様です。

    ライターの仕事

狩猟弾全集は「ショットガン編」「ライフル編」「応用要領編」そして「チャレンジ編」がありました。
そして2017年には「魅惑の海外猟」と「エゾ鹿猟の魅力」の続編を出版する事にしたのですが、
問い合わせすら全く来ない状態、もはや日本のハンターはそこまでやる気がなくなったのかと
ガックリ来ています。

狩猟の普及を筆者のライフワークとしていましたが、誰も反応しないのであれば、また狩猟
技術の伝承に全くならないのであれば行っても意味がなく、考え直す時期が来た様です。

最後の狩猟雑誌「けもの道」に筆者は連載2本を書いていましたが、1昨年休刊となりました。
最近になって年2回出版で細々と再開しましたが、筆者は書く気が起こらず手を引いています。








  


Posted by little-ken  at 17:09狩猟人生を振り返って、

2017年04月22日

狩猟人生、その22:ビッグゲームフィッシング:2012年~。

22フィッシングを始めました。2012年~
物事には先にも記しました様に全てに始まりと終わりがあり、狩猟の始まりは1970年、そして
終りは2020年頃、約50年間の出来事でした。
1970年:筆者は20歳になるのを待って狩猟を始めました。当初は進路も定まりませんでしたが
やがて方向は誰も本腰を入れる人がいなかったカモ猟に決まりました。
海岸部の工場勤務となり連日のカモ猟でバイトをする様になりました。

1982年:当初から憧れていた本州鹿の巻狩りの世界に移りました。焼鳥屋の時代的背景が
変わり、カモが売れなく  なったのが直接のきっかけとなりました。
そして1頭目捕獲までは9年間の実戦70余日、地獄の日々を過ごしました。
1993年:あれ程獲れなかった鹿ですが本州鹿巻狩りに開眼、3週連続で捕獲に成功しました。
同時にこの年はエゾ鹿猟を始めた年にもなり、ルガー77ボルトライフルを入手、本章の全てが
始まった年になりました。

当初の2年は民宿巻狩り、これは捕獲効率が低く0.2頭/日程度、3年目からは自前単独の
流し猟に換えた途端1.0頭/日と大幅に捕獲率が上がった事からも民宿巻狩りがベストでは
ない事がよく分かります。
やがて運命的にプロガイドのH師匠と出会い、実戦90日間と2000~3000発そしてH&K
オートを通して、ランニングディア射撃をマスター、後年スクールを開設出来たのもこのH師匠
との出会いがあったからでした。

2002年:エゾ鹿ハンティングスクールを紋別郡山中に開設しました。きっかけは2000年末
に巻き込まれた交通事故後の視力が半減した事でした。隠れるエゾ鹿を発見する猟法から
如何にして出会うかの猟法に変更、結果として出会い数は倍加しました。
尚スクール開設は鹿の買い取り係でもあった友人のS師のお世話になりました。

この年に思い切って仕事を早期卒業する事にしたのも、交通事故のあった事も全てが運命的
な物だったのでしょう。
2006年:サコー75バーミンターのボルトアクション銃に戻りました。
本銃に替えた途端、ライフルハンターの憧れの全てがその1~2年の内に達成されました。
これはサコーが優れた銃であったと言う事でもあり、またボルトアクションライフルと言うのが
優れた銃であった事を証明する事になりました。

スコープ専用ボルト銃は、50m未満の至近距離のスナップショットから300mの遠射まで距離
を問わず、また静止目標であっても移動目標であっても目標を選ばず、そして5発5中も容易
だったのですから驚きでした。
筆者は根室地区のクリスマスと正月明けフィーバーに参加していたこの頃が数量的及び内容的
にピークでした。

2009年が捕獲量のピークで48.5日から何と140頭、2010年に通算1000頭目を捕獲出来た
のも、エゾ鹿の買い取り係でもあり、北海道の事を色々教えてくれた友人のS師の存在抜きには
語れません。翌2011年には内容的ピークを迎え、シーズン36.5日から何と角長70cm以上の
大物が31頭と言う超驚きの内容となりました。

2012年:62歳となりこの頃から体力的な衰えや手足の痺れ等々が目立ち始め、狩猟人生の
残りが余り長くない事を感じる様になりました。
エゾ鹿の買い取り係でもあり、北海道を教えてくれたS師が癌で他界した事もあって、捕獲制限
する様にもなりエゾ鹿撃ちの天国である根室猟も卒業しました。

それで少し前の2009年から始め2012年前後から本格的になったのが海外猟です。
少し急がなくてはなりません。
今を逃せば体力不足&射撃技術不足となってもうチャレンジ資格を失ってしまいます。
これもお蔭様でナミビアを3回とNZを5回のチャンレンジが出来ました。

相前後する頃から始めたのがフィッシングです。銃を卒業する日が来たらこれで小魚を釣って
暇を潰そうと言う作戦です。
しかしどうせやるならと海外大物猟のついでに海外大物漁も始めました。ビッグフィッシングです。










  


Posted by little-ken  at 17:11狩猟人生を振り返って、

2017年04月22日

狩猟人生、その21:体重940㎏のエランド、380m遠射のクドゥ:2012年~。

21海外ビッグゲームの集大成
2012年にはNZで鹿撃ちの最高峰と言われる角長108cm体重320kgのエルクを捕獲、
同時に日本の猪と比べると 体重で2~3倍のデカ黒猪230㎏を捕獲出来ました。

2013年は2度目のナミビア猟を行いました。
メインは体重1トン世界最大のカモシカであるエランドです。
角は1升瓶を捻った様な感じです。他にもアフリカならではの動物であるゼブラとも勝負して来ました。

2016年には3度目のアフリカ猟を行いました。
メインはトロフィー級のジャイアントクドゥとその他です。
ここで体重450㎏のクドゥに対して380mと言う超遠射の初弾1発で倒す事に成功しました。
2006年に500mを成功させていますが、あれは初弾ではありません。







  


Posted by little-ken  at 17:15狩猟人生を振り返って、

2017年04月22日

狩猟人生、その20:ビッグバード猟:2011年~。

20海外ビッグバード猟の集大成。2011年~
ビッグバード猟に付きましては2011年にピーコックとターキー、そしてキジは達成しており
ますが、カナダガンは完璧なチャンスが少なくとも1度はあったのですが、痛恨のミスから
捕獲ゼロに終わっておりました。

2014年、カナダガンの3日間の再チャレンジを行いましたが、相変わらずの超強敵で捕獲は
ダメかもと思わされました。
チャレンジの最終日の夕暮れやや過ぎた頃、2度の射撃チャンスを頂き、合計9発の射撃から
何と巨大なカナダガン8羽を撃墜、7羽を回収すると言う超快挙を達成出来ました。

  2014年9発から7羽のカナダガン。   017年80発から47羽のパラダイスダック。

2017年、パラダイスダック猟50羽捕獲に再チャレンジしました。
過去2回は2011年の21羽、12年の15羽でした。
今回は2日間だけの夏期特別解禁日を狙っての再チャレンジ、結果は初日が32羽、2日目は
目標の50羽までもうチョイの47羽を達成する事が出来ました。
筆者のカモ撃ちバイト時代でも1日を通せば5発に1羽程度でした。

それが同じ80発クラスから2倍以上の47羽と言う記録は過去の全ての記録と比べても
とんでもない数値でした。
これもカナダガン猟を含めてショットガン狩による水鳥猟の卒業試験を合格させて頂いた
気持ちです。







  


Posted by little-ken  at 17:21狩猟人生を振り返って、

2017年04月22日

狩猟人生、その19:エゾ鹿1000頭、ヒグマ6頭、国内猟の集大成:2012年~。

19国内狩猟の集大成。2012年~
エゾ鹿猟も鹿の買い取り業者でもあった友人は2013年に癌で急死、鹿の売れ口が無くなった
事もありますが、筆者も単独猟でエゾ鹿を倒す事は可能であっても体力不足から回収が困難
になって来ました。

そんな事でエゾ鹿の捕獲もかなり控える様になり、捕獲数は減少方向の50頭程度/5年に留まり、
近年は更に低下中、卒業も真近かの予感です。
しかし2012年、ボス争い中の3頭をまとめ捕獲しましたが、こう言う時は話が別になります。

1頭目は角長79cmの鹿に対して距離150mから「ムービングスタート射撃」、これは動き
出した直後の鹿に対し銃を その方向にスイングしながら鹿を見ないで撃つ射撃です。

2頭目はやはり79cmの鹿、逃げた方向は分かりますから150m先まで車で先廻り、
150mからの「ランニング射撃」1発でした。
これは走る鹿に対して追尾後、銃のスイングを加速し、やはり鹿を見ないで撃つ射撃です。

3頭目は75cmの鹿、2km追掛けて間もなく止まると言う場所を選んで待つ
「待ってたホイ射撃」でした。
まるで筆者の技量の集大成を試す卒業試験の様な感じでした。
どの射撃も1発で決まり、嬉しく思います。

      ボス争い3頭まとめ捕獲2012年、超大物だと良かったのですが79cm。
      

      2014年のド至近距離の穂熊と本物サイズ400㎏以上のヒグマ、


     更に2015年の月の輪ヒグマ、そして2016年当地期NO.2の85cm超大物。

2014年はヒグマの当たり年となり、僅か15mの出会い頭のヒグマ280kg、更に100m先
を走る本物サイズのヒグマは 400㎏以上で計測不能を捕獲、これで終わりかと思ったら
翌15年にはまた珍しい月の輪ヒグマ220kgが獲れました。

ヒグマは2006年第1号、翌07年には第2号と3号が獲れましたが、その後にヒグマの駆除が
始まりヒグマは激減、一気に獲れなくなりました。それが7年の時を経て回復して来たのでした。
僅か15mのド至近距離や体重400kg以上の本物サイズの巨大ヒグマに対しても臆する事無く、
対処出来た事を非常に嬉しく且つ誇らしく思います。

2016年には角長85cmと言う紋別地区では歴代NO.2の超大物鹿と勝負、この超大物鹿も
筆者の思う様に動いてくれまして、射撃も回収も非常にイージーでしたが、これも先のヒグマも
含めて筆者の集大成の卒業試験の様な感じでした。


この年はスクール3年生が初ライフルで85cmを捕獲しました。100mからの初弾は弾着が
1mずれて角に命中、150mからの第2弾も1mずれて頭に命中、運の良い生徒です。
もちろん生徒による最大の記録です。
マグレも実力の内かもしれませんが、信じられない奇跡が起こりました。





  


Posted by little-ken  at 17:25狩猟人生を振り返って、

2017年04月22日

狩猟人生、その18:男なら1度は行きたいアフリカ猟:2009年~。

18海外猟。2009年~
自前会社時代の個人年金保険のお陰で節約すれば何とか海外猟にも行ける様になりました。
男なら、ハンターなら、1度は行きたいのがアフリカ猟です。

2009年憧れだったナミビア猟を実施、クドゥ&オリックス等々を成功させる事が出来ました。
この実現にはスクールのD生徒がアメリカ留学の経験を生かし、かなり助けてくれました。
またディアハンターならばエゾ鹿より遥かにデカい赤鹿やエルクにも1度はチャレンジしたい
モノです。

2010年ニュージーランド猟(以下NZ)、赤鹿&ファロー鹿に成功しました。
クドゥも赤鹿も300mの遠射でした。

        2009年アフリカナミビア猟、115cm 380kgのクドゥ。
        2010年NZ赤鹿99cm 220㎏&ファロー鹿猟



        2011年NZ大型鳥猟ピーコック&ターキー。
        同年にはキジ猟10羽にチャンレンジ9羽に終わりました。 
        


   2012年NZエルク108cm 320㎏。             同年NZデカ黒猪230kg。

鳥猟に於きましても日本ではガンの類は狩猟出来ませんし、キジやカルガモより大きな鳥は
他にいません。やはり世界と勝負と言う事になればビッグバードとも勝負したいところです。
2011年のNZ猟ではビッグバード猟各種を行い、大型コーライキジ猟は目標10羽に対し
9羽でした。他の大型鳥猟は共にかなりの苦戦でピーコックとターキーには何とか成功出来
ましたが、カナダガンには失敗しました。

2012年NZ猟、エルク、デカ黒猪に成功、エルクは角長108cm、体重320kgを50mの
出会い頭スナップショットで捕獲成功出来ました。
また猪は230kgの黒猪を150mから射撃1発で仕留める事が出来ました。






  


Posted by little-ken  at 17:31狩猟人生を振り返って、

2017年04月22日

狩猟人生、その17:憧れの大物31頭を束ねて帰還:2009年前後。

17狩猟ピーク時代。2009年前後。

    2011年はビッグフィーバーが6回あり、その全てが筆者に当たってしまい、
    角長70cm以上の大物31頭の超記録となりました。


こうして銃をサコーに換えてからは優れた銃のお陰で各種の夢の達成だけではなく、狩猟
技術も更に大幅に上がり、 この頃は年間60日前後出猟し100頭前後を捕獲していました。
本州鹿巻狩りを始めたのが1982年、最初の10年間では1頭だけの捕獲でしたが、次の
10年間では約100頭、そして次の10年間では何と1000頭もの捕獲が出来ましたから眞に
痛快その物です。

2009年、捕獲量のピークを迎え、48.5日の出猟から何と140頭(2.9頭/日)の捕獲を得ました。
2010年、通算1000頭目のエゾ鹿を捕獲しました。
翌2011年、内容的なピークを迎え、シーズン36.5日の出猟から捕獲は65頭でしたが、
何と角長70cm以上の大物が31頭と全体の約半分が大物と言う超驚きの内容となりました。

カモ撃ちバイトは月給5万円の時代に3ヶ月間で10万円になりました。エゾ鹿撃ちバイトはこの
ピーク捕獲量を以って しても月給30万円の時代に2ヶ月間で60万円程度の売り上げでした。
一見すると悪くなさそうに見えますが、車関係の諸経費も半端でなく多額であり多少の
マイナスとなりました。

またスクール部門の収支でも平均売上げは75万円程になりますが、直接の諸費用支払いが
40万円程、間接費用も入れますと同様の多少のマイナスとなりますが、両者を合わせて出費
を抑えて狩猟をたっぷり楽しむと言う当初の目標だけは達成されました。






  


Posted by little-ken  at 17:40狩猟人生を振り返って、