2017年05月09日

狩猟人生、その1:銃18歳、狩猟20歳、狩猟人生の始まり:1968年~。

銃と狩猟の始まり。1968年~
1968年、トヨタフォークリフト入社設計に配属。普通運転免許取得し愛車はベレットディーゼル
を購入し、休日毎に日本各地にツーリングしました。当時軽油はガソリンの半分以下、
15km/リットル走り、1kmを1円強の程度で走れました。

また川崎W1と言う650㏄のバイクも持っていました。これは1リットルで45kmも走って
くれますのでこれも助かりました。
燃費の良いで言えば筆者は使いませんでしたが、その頃デビューしたトヨタスポーツ800も
1リットルで35km走りました。

18歳になって空気銃のライセンスも取得しました。最初の銃は5.5mmのポンプ式空気銃、
メーカーは絶版の兵林館 のモデルASでした。
狩猟は20歳まで待たなくてはならず、取り敢えずは隣市の射撃場に連日通いました。

1970年には20歳になり念願だった狩猟を開始、2年間の射撃場通いで腕はかなり上がり、
立撃ちMax.168点、30m 離れた雀の頭だけを撃ち抜く事が出来る様になり、且つパワフル
で75m先のキジバトを貫通しました。

しかし間もなく飛鳥射撃に心を奪われ空気銃を売却、上下2連散弾銃SKB700を所持しました。
ところが当時はハンターが50万人以上と非常に多く、何処に行っても先客が必ずいました。
結果として狩猟は甘い物ではなく、何処に行っても獲物には会えず、会えるのは先輩
ハンターだけ、稀に獲物に出会えても射撃まで持ち込めず、稀に射撃しても撃墜する事は
出来ず、落ちこぼれる寸前でした。

落ちこぼれ寸前は初年度最終日のキジバト命中で救われ、その後は徐々に獲物の付き場や
狩猟法も徐々に分って 来ました。翌年、家の近くの休猟区が開き、小雨の降る時にキジの
踏み出し猟に行きました。

何と信じ難いのですが、25回もの射撃チャンスがありましたが、事如く失中、持っていた弾50発
を使い切る直前の最後にやっと1羽に命中しました。当時はそれ位までに未熟でお粗末でした。
当時の月給は3万円、弾は50円/発、日当の丸2日分の弾代はかなり効きました。
狩猟人生、その1:銃18歳、狩猟20歳、狩猟人生の始まり:1968年~。
      兵林館AS、30m先の雀の頭を狙撃75mのキジバトを貫通。
狩猟人生、その1:銃18歳、狩猟20歳、狩猟人生の始まり:1968年~。
             SKB700上下2連銃12番。

当時狩猟と言えば猟犬を使ったキジ・ヤマドリ・コジュケイ猟が80%で超主流、猟犬が
いなくてはハンターではないと先輩ハンターも 猟犬を押し付けて来ました。
今ではヤマドリやコジュケイはほぼ絶滅寸前です。
既成路線に対しては反骨精神の筆者の方向はドッグレスのカモ猟に決まりました。
最初のカモは朝日に輝く見事な青首、失中でした。














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Posted by little-ken  at 08:20 │狩猟人生を振り返って、